新成人。

今年は物凄く早いスピードで始まった。

2017年の末から2018年今日まで、私用でかなりの距離を移動することになった。

 

地元→名古屋→松本→地元

地元→横浜→地元

 

たった今乗った電車は地元→横浜の部分。

 

とても寂しい気持ちになる。

その理由は一昨日まで遡る。

 

 

私は現在20歳だ。新成人の歳である。

久しぶりに地元の友達が各地方で多くの波に揉まれて、帰ってきたんだと思う。

成人式の日は一言で言うと最高だった。

既に高校を卒業して働く者、大学で勉強している人、スペインに居る人、さまざまな境遇で再会を果たした。

久しぶりすぎて、友達なのに、友達ではないような、なんか少し恥ずかしい甘酸っぱい再会をお酒はいとも簡単に中和した。

その日だけは皆が中高生に戻っていた。

大人の仲間入りを果たすその日だけは、皮肉にも皆が中高生に戻っていた。

 

そして間も無くしてまた、地元を離れて世間の波に揉まれに行ってしまった。

 

酔いが冷めた後のツイッター、インスタには寂しさで溢れている。皆同じ気持ちなのだ。

 

僕は地元に居る組ではあるけれど、横浜に向かう電車の中は妙な寂しさを感じた。

 

もう地元にはあの笑い声は響いていないのに。

それでも尚電車は止まらない。電車に身を任せてみんな同じ気持ちだったかな。

 

やっぱり地元は良い。

地元に思い出が住んでいる。

 

頭と携帯に思い出を閉じ込めているように、地元にも思い出は閉じ込められているのだ。

 

ああ、またみんなに会いたいなあ。

中学、高校に、戻りたいなあ。、

全デート童貞のためのカップルで高い食事に行った時の最適解とは


もう今年も残りわずかとなりました。

2018年に突入しようとしています。

 

 

しかし、我らデート童貞(初心者)にとって最大の2017年の山場が訪れようとしている。

 

 

メリー・クリスマスだ。

 

 

日本人であるにも関わらずいつの日からか祝うようになった祝日である。

カップル(特に彼氏)にとっては彼女の誕生日、そして付き合った記念日に継ぐ一大イベントである。ふと、3年前にセブンイレブンが公表した「コンドームが最も売れる日」みたいな名前の記事でクリスマスという結果を見たことを思い出した。

 

 

まあ、何はともあれそういう一大イベントであることは間違いない。

 

 

そんな日に限って高いディナーを予約し、高いプレゼントを用意してちょっと良いデートを演出します。いや、したくなるのが男のサガというもの。そんな日本の経済をゴリゴリ回すデートをするにあたってちょっとだけアドバイスをしようと思う。

 

 

 

そんなアドバイスをしようと思った発端は2、3日前のちょっと小高いリッチな夕食から始まった。

 

 

 

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某ちょっと小高いステーキ屋さん

 

 

 

 

このお店は私の県でステーキ店くらいのワードで検索すると間違いなくヒットするステーキ店である。ここのステーキ弁当は4400円とかするマジで良い値段のする店だ。予約は一切受け付けておらず、食事を堪能するには並ぶ以外に選択肢はない。

 

 

 

味はご想像通りステーキだろうがハンバーグだろうが「美味」の一言に尽きる。

 

口に入れた瞬間小爆発が起きて、脳内はまるで忍者の煙玉を食らったかのように真っ白。その真っ白の背景の中心から「美味い」というワードを叩きつけられる感じだ。

 

ハンバーグは口に入れた途端に肉汁が溢れ出す。

その肉汁の中心から「美味い」というワードを叩きつけられる感じだ。

 

どんな忍術を使えばあんなに美味しくなっているのでしょうか。

ちなみに、そこから得られる方程式は

 

ステーキ=忍術+煙玉

ハンバーグ=忍術+肉汁(つまりカロリー)

 

この導き出された方程式が何に利用できるのかは分かりませんが、今回はお店の話をしたいのではないので話を本筋に戻します。

 

 

続けます。

 

 

 

こういう価格設定の高いお店に来る若いカップルといえば大体がお祝いである。

しかも毎月記念日とかの比ではない彼女の誕生日クラスのイベントである。

 

 

そんなカップルが今まさに私の前のテーブルで食事をしようと座ったのである。

その距離は約2.5メートルといった程度。

基本的にこういったお店は静かなので、話は余裕で聞こえる。

 

 

「すごい美味しそうな匂いがする」

「ハハ、さ、何にする?」(メニューパラリ

「・・・。」

「じゃー俺は鉄板焼き定食(ステーキ)、〇〇は?」

「んー、私はハンバーグ!あ、あとご飯じゃなくてパンがいい」

 

 

 

てな感じで注文を済ませ、携帯に目をやる(何せ静かな店なので)。

 

そして料理が運ばれて来た。食事を始めるや否やお決まりの会話が始まる。

 

 

 

「すごいよこのお肉!」

「美味しそ〜!」

 

パクパクモグモグ

 

「美味しい?」

「うん、美味しい」

「・・・。」

 

 

 

さて、ここでどんなことが起きているのか。

デート童貞達には到底理解ができないであろう。

 

 

つまり、このシチュエーションの中では多くのジレンマが潜んでいるのだ。

ジレンマの発生を防ぐためには以下のポイントを解決することで回避できる。

 

 

 

どうして有名なステーキ店であるのに彼女はハンバーグを注文するのか。

そして、ご飯ではなくパンなのか。

加えて、最後に会話が弾まなかったのか。

 

 

まず大前提として、高い店は料理の値段が全体的にたっかい。

そのため、メニューを開いた途端にまず第一の沈黙が訪れる。

その思考回路は単純で、奢られるであろう彼女の思考回路は

 

 

「中でも手頃な値段のものにしよう」

 

 

この一択だ。「わーい、ステーキだ!黒毛和牛ヒレステーキにしよう!」なんて考える彼女はまず、いない。鬼か。 また、ライスかパンかの選択はパンを選ぶ。

なぜならナイフとフォークでご飯を食べるのは高度なテクニックが要されるからだ。危うく皿を汚しかねない。

 

ちなみに、そこから以下の方程式が得られる。

 

 

彼女の思考=ハンバーグ

 

である。

 

 

 

そして彼氏の思考回路はこちら

 

「俺がそこそこの値段のものを頼まなかったら相手は頼みづらいだろうな、よし、ステーキにしよう。がっつりコメで肉を頂こう。」

 

 ちなみに、そこから次の方程式が得られる。

 

 

彼氏の思考=ステーキ

 

である。

 

この彼氏の思考というのは純粋に =がっつりコメで肉を頂きたい である。

 

 

この2つの式に

 

ステーキ=忍法+煙玉

ハンバーグ=忍法+カロリー を代入すると

 

 

 

がっつりコメで肉を頂きたい=忍法+煙玉

彼女の思考=忍法+肉汁

 

 

 

この解は

 

 

 

彼女の思考+煙玉=がっつりコメで肉を頂きたい+カロリー。

 

彼女の思考回路は実際のところがっつりコメで肉を頂きたい上にカロリーを欲していることがわかるだろう。

 

 

 

続けます。

 

 

 

この両者のジレンマの結果として彼女はがっつりカロリーを抑えたことで、家に帰ってから夜食を食べる羽目になり、食事中はカップルで同じものを食べていないため共感度合いに薄れる。その結果会話が盛り上がらないのだ。

 

 

 

そこで私が提案する最適解は、「同じものを注文する」である。

 

至ってシンプルな答えで申し訳ない。

 

 

まず、彼氏はメニューを自分にだけ見えるように自然に開き(もしくは事前にリサーチをしておく)、「ここはステーキがうまいんだよね」と言い、すかさず店員さんを呼んで「ステーキ2つ。コメで」と伝えよう。パンはだめだ。彼女の心は「がっつりコメで肉を頂きたい+カロリー」なのだから。

 

 

たとえ、彼氏からのアプローチが無かったとしても、彼女は「何にする?」と聞かれた時点で「〇〇くんと同じのにする!」というのがベストだ。その答えに対して彼氏は黒毛和牛ヒレステーキを頼まれるリスクを回避できたことに胸を撫で下ろすだろう。

 

 

以上がたった1つのコツであり最適解であると思う。

 

 

これを参考にみなさん メリー・クリスマス。

外国人と一瞬で仲良くなる方法

 1日のうちに何人の人とすれ違うのだろうか。きっと物凄い数の人間とすれ違っていて、多分そのうちの多くの人とは一生関わることがないだろう。仮に会話を交わしたとしても、強面の若者に肩がぶつかり「あぁん?!」と言った感じで睨まれて「すいません、」と謝ったにも関わらず「あー痛ってぇ〜腕折れちまったよ〜どうしてくれんの?」と、最悪カツアゲの格好の餌食になってしまうことだろう。袖振り合うも他生の縁とは言いつつもそんな縁とは死んでも結ばれたくない。

 

 

こんなヤンキー映画脳丸出しの妄想とは裏腹にとってもハッピーな外国人と学内ですれ違った。今日は、そんな普段は絶対関わりなど生まれないであろうシチュエーションでさえも、友情を生み出した瞬間をここに記そうと思う。

 

その外国人とすれ違いざまに 目が合ってすぐに「あ、外国の人だ!」と判断した私はなぜか話し掛けたく、いや、あの瞬間からもう友情が芽生え始めていたのかもしれない。咄嗟に「morning!(朝!)」と発した私の言葉はもう口から飛び出した後では私の口に帰ってくることはない。完全に間違えた。いきなりの初対面で朝!と言われてなんて返せばいいというのだ。言うなればgood morningにしたいところだったが、あれは12時過ぎの話。もうmorning ではなくnoonだ。どちらにしてもアウト。

 

そんな朝!と話しかけてきた日本の低脳大学生に対し「morning?good morning? You speak English?(朝?おはよう?お前英語話せるの?)」と聞いてきた。完全に意訳だし、実際そう言ったかも分からない。しかし、英会話に大事なのはニュアンス。なんとなくで言葉を受け止め、すぐさま返球することが大切だ。多分会話とはそういうものだ。

 

「yes! I can speak English (おう!英語いけるぜ)」

 

日本の英語教育でthis is the penよりも、I can speak englishのほうが圧倒的に使用頻度が高いだろう。これはペンです。だから何だ。

 

英語を話せると自分から言った以上すぐにその実力とやらを見せつける必要があると考えた私は英語を更に畳み掛け「I’m a professional in speaking English (私は英語のプロだ)」と教えた。

 

その外国人も負けじと「I’m a professional in speaking English too. we’re a professional Too.(私もプロだ。私たちはプロだ!)」と仲間意識を表明してきたため、

私「yes! We are professionals!!」

私 外「We are professionals!!」

外 「yeah!!」

 

という具合に仲間に迎えてあげた。

 

すると、外国人は右腕を高らかに挙げた。その親指はピンと反り立っていた。

 

 

 

英語は世界を変える。

 

 

英語はピースだ。

 

 

 

We Are Professionals.

 

塩パンの美味しさは思考を無に帰す。

おはようございます。

1限から授業があると、どうしても朝ごはんを食べる時間がない。

時間がないというよりは、朝ごはんを準備して机に並べて椅子に座って、zip!を見ながら白飯を口に放るような時間があるなら 純粋に布団から出たくない。その結果食べる時間がない。

そこで、前日の夜にパンとかおにぎりを用意して1限目の前に食べることにした。そう、たった今これを書きながら食べ始めるところだ。

 

やはり朝ごはんを食べるのと食べないのでは身をもって違いを体感できる。塩パンは旨い。塩味パンティーではないので勘違いしないで頂きたい。

 

毎朝ご飯を食べない人たちは、朝ごはんの力を皆さんお知りだろうか?朝ごはんは様々な影響を体に与える。

農林水産省のホームページを見ると脳にブドウ糖が補給され、イライラしなくなるとかボーッとしなくなるとか。

 

葡萄とブドウ糖が同じはないかと考えたことは、誰しも一度はあると思う。成長の一通過儀礼みたいなものだ。その思いも虚しく、葡萄がブドウ糖とは別物であることを知るのもまた、一通過儀礼である。しかし、ブドウ糖が熟した葡萄に多く含まれる甘み成分であることまでは知ることになるのも、やはり一通過儀礼に過ぎないのである。やっぱり葡萄はほとんどブドウ糖なのだ。 しかし塩パンが美味しいことと、葡萄にブドウ糖が多く含まれていることは関係ないので一旦ブドウ糖のことは忘れてほしい。

 

塩パンの美味しいところはどこかというと程よい塩加減と、パンのほのかな甘みであろう。

ザラッとした表面の塩パンもあれば、表面がしょっぱくコーティングされているものもあり、店によって差が出る。塩のパン。単純に見えて職人の技の見せ場であるのだ。

 

寿司屋でもそうだ。スシローや、くら寿司のような百円寿司はバラエティに富んでいるのが特徴だ。しかし、あの低コスト高クオリティを出すために、シャリの分量を機械で測り、機械でシャリを出しているに違いない。そこに職人の技は回らない寿司とは天と地の差だ。

しかし、塩パンの美味しさと寿司を握る技はあまり関係がないので一旦忘れてほしい。

 

話が一向に前に進まなくて申し訳ない。

塩パンを食べるとどうも美味しさで思考が停止してしまうようで…。

 

是非一度塩パンを食べて脳をリセットしてみてはいかがだろうか。

日本語は似ている文字が多すぎやしませんか、あてつけですか。

ブログ始めたよ。

 

はてなブログに登録する際に「ブログタイトル」を設定するように促された。

 

そこでとりあえずで付けた。とりあえずで付けたがなかなか感慨深いものがあって、当分このまま変更はないだろうと思う。

 

文章というのは、起承転結で作られるものだと、うちの大学の某教授は熱く語られていた。

そんなこともあって、ブログってほどの大層なものは書けないよ、という自分を謙遜して何かしらのタイトルを付けようかと思ったのだ。「もはや日記とかそういう次元ではない。」という私の気に入って見ているブログタイトルをパクろうか、とか 小林一茶が茶をやめて文章を書いたらきっとこんな感じ とか様々な思考を繰り広げ、思案にくれた挙句、脳みそを絞り出して固めてオーブンで焼いて出来上がったのが以下のタイトルである。

 

「ブログというか、もうこれはブロゲくらい意味がわからない。」

 

意味がわからない。冒頭で感慨深いとか書いちゃった自分のセンスを412文字書き終えた時点で疑い始めている。これが所謂起承転結の転に当たるのだろうか。今度例の教授に熱く教鞭をとってもらいに行こうと思う。いや、絶対に行かない。

 

では、どこらへんでこのタイトルを感慨深いと感じたのか、それはもう誰しもお気づきであろう、「ブロゲ」のところだ。ブロゲ。アルファベット表記でBUROGE。意味は無いが、一応Googleでググってみた。

 

結果:「下ネタ+ブログの造語。エゲツナイ下ネタを平気で晒すブログのこと。または 遠目から見ると「ブログ」と「ブロゲ」で大差がないため嫌味で使われることも。」

 

え。

 

まさかの意味があった。よりによって、エゲツナイ下ネタを平気で晒すブログという内容をタイトルにぶち込んでいるとは予想だにしなかった。検索しなければよかった。世の中には知らなくて良いことがあると昔習ったような習っていないような。

 

しかし、私が感慨深いと思った箇所がその検索結果の後半に綴られていた。

ブログとブロゲ もう少し ピントを絞ると「グとゲ」だ。遠目で見ると違いが微妙な日本語多くないですか。

 

例えば ぬとめ はとほ

あげ出せばきりがない。

ブロゲがありなら ゲゲゲの鬼太郎はグググの鬼太郎になり 凄く不甲斐ない。 おめめがおぬぬになればきっとそれこそエゲツナイ下ネタ感も拭えない。おぬぬ。これ以上このワードに触れるのは止めよう。

 

はとほに至っては進化の過程は、まるでポケモンである。

「は」がピチューだとしたら、「ほ」はピカチューであり 「ぼ」はライチューとでも言いたいのか。あまりに手抜きすぎないだろうか。

 

視力難民である私にとってそのような文字たちは非常に見間違える。こんな生活が続くともうブログだろうが、ブロゲだろうがどっちだって言い。

 

 

そういった紛らわしいものが乱立するこの世に生まれたからには 正しいものを見極める必要があると思う。そう、あなたにとってこのブロゲを読むことは正しい時間の使い方だろうか?

自分にそっと問いかけてほしい。