塩パンの美味しさは思考を無に帰す。

おはようございます。

1限から授業があると、どうしても朝ごはんを食べる時間がない。

時間がないというよりは、朝ごはんを準備して机に並べて椅子に座って、zip!を見ながら白飯を口に放るような時間があるなら 純粋に布団から出たくない。その結果食べる時間がない。

そこで、前日の夜にパンとかおにぎりを用意して1限目の前に食べることにした。そう、たった今これを書きながら食べ始めるところだ。

 

やはり朝ごはんを食べるのと食べないのでは身をもって違いを体感できる。塩パンは旨い。塩味パンティーではないので勘違いしないで頂きたい。

 

毎朝ご飯を食べない人たちは、朝ごはんの力を皆さんお知りだろうか?朝ごはんは様々な影響を体に与える。

農林水産省のホームページを見ると脳にブドウ糖が補給され、イライラしなくなるとかボーッとしなくなるとか。

 

葡萄とブドウ糖が同じはないかと考えたことは、誰しも一度はあると思う。成長の一通過儀礼みたいなものだ。その思いも虚しく、葡萄がブドウ糖とは別物であることを知るのもまた、一通過儀礼である。しかし、ブドウ糖が熟した葡萄に多く含まれる甘み成分であることまでは知ることになるのも、やはり一通過儀礼に過ぎないのである。やっぱり葡萄はほとんどブドウ糖なのだ。 しかし塩パンが美味しいことと、葡萄にブドウ糖が多く含まれていることは関係ないので一旦ブドウ糖のことは忘れてほしい。

 

塩パンの美味しいところはどこかというと程よい塩加減と、パンのほのかな甘みであろう。

ザラッとした表面の塩パンもあれば、表面がしょっぱくコーティングされているものもあり、店によって差が出る。塩のパン。単純に見えて職人の技の見せ場であるのだ。

 

寿司屋でもそうだ。スシローや、くら寿司のような百円寿司はバラエティに富んでいるのが特徴だ。しかし、あの低コスト高クオリティを出すために、シャリの分量を機械で測り、機械でシャリを出しているに違いない。そこに職人の技は回らない寿司とは天と地の差だ。

しかし、塩パンの美味しさと寿司を握る技はあまり関係がないので一旦忘れてほしい。

 

話が一向に前に進まなくて申し訳ない。

塩パンを食べるとどうも美味しさで思考が停止してしまうようで…。

 

是非一度塩パンを食べて脳をリセットしてみてはいかがだろうか。